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東京インスパイア

都内で働く高卒リーマンの記録

都会生活に疲れて博多に引っ越して風俗にハマるが再び東京に行く話し

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音楽業界でサウンドエンジニアとして働くことを夢見たが挫折して、居酒屋で働くも 3日でクビになり、テレビ業界で再起をかけるも、これまた 3 日目で逃げ出した自分は、いよいよ八方塞がりになって家から出ない日々が続きます。

今でこそ、IT 企業の営業(2017年早々にマネージャーに昇格しました!)として働いているカバオですが、我が人生でここまでドン底に落ちたのは、後にも先にもこの時期でしょうね。

だって、どんなにドン底に落ちかけても、この時期の体験が自分自身に歯止めを効かすストッパーとなりますからね(苦笑)

さて、長々と書いてきた『上京物語』ですが、いよいよ最終章になりました。

ドン底に落ちたカバオは、最終的には地元である熊本に戻ります。その後、博多に引っ越すことになるのですが、その後、予想外の決断をとります。

絶望の中で決意した帰郷後に散財して目が醒めるまで

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テレビ番組の制作会社をバックれて以来、外出もせずに家でボーッとする時期が多くなりました。いわゆる廃人状態と言ってもいい程でした。

それくらい AD の件は、自分の人生の中で堪えた経験でしたね。

 

※ 前回の記事をまだ見てない人は、こちらからどうぞ。

www.tokyo-inspire.com

 

しかも、自分が AD の件で家にいなかった 2 日の間、二階にカップルが引っ越していたようでした。そのカップルは、毎晩のように大喧嘩をしていて、男の怒鳴り声と女の叫び声が飛び交っておりました。(多分、DV は当たり前な感じでしたね...)

自堕落な生活と毎晩のように聞こえる二階のカップルの喧嘩によって、次第に心を閉ざすようになっていきます...(涙)

ちなみにこの頃の自分は、何故か黒澤明の映画をよく見るようになっていまして、ほとんどの作品を一気に見ていました。

運送会社を辞めてから、この 2 ヶ月の間に色々なことがありすぎて、精神的に完全に参ってしまった自分が、唯一楽しみにしてたのが黒澤明の映画を見ることでした。

そして、そんな自堕落な生活をしていた頃、世間ではショッキングな事件が起こりました。

秋葉原通り魔殺人事件をきっかけに何かが変わったあの日

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あのときの記憶は、鮮明に覚えています。

前日の夜中に黒澤明の『天国と地獄』を見てたんです。犯人である竹内が主人公の権藤の生活を妬み、子どもを誘拐して身代金を要求するという映画なのですが、この嫉妬というのが、今の自分にも当てはまるなと思っていました。

いわゆる、ルサンチマンとでも言いましょうか、自分の場合ですと高卒や田舎者というコンプレックスからか、誰に対してか分からない「俺は他のヤツらと違う、俺はスゲーヤツなんだ」という感情が芽生えていたことは、以前の記事でもお伝えしたとおり。

いずれにせよ、この映画は、そんな自分を投影してるかのような映画でした。

この映画を見て、なんとも言えない気分になって、そのまま就寝。翌日、昼過ぎ頃に起きてテレビを付けたら、秋葉原で通り魔殺傷事件が起きたとのニュースが報道されていました。

 

自分は、この報道を見て、またもやなんとも言えない気分になりました。

昨晩に見た「天国と地獄」の犯人と自分が置かれている状況と今テレビの奥に写っている犯人が、ある意味一括りにされたような気がして身震いした記憶があります。

この秋葉原の通り魔事件の犯人である加藤容疑者も自分の周囲や環境に対して、ルサンチマンを抱いていたんだと思います。

もっとも、ルサンチマンの特性や自己の対処法なんかをここで語るつもりはないのですが、一つだけ敢えて言わせてもらえば、こういう感情を抱く人って客観性が欠落していると今更ながらに思います。

自分自身もそうだったように、ルサンチマンが起因して抱く感情は、そもそも他人の意思が入り込む隙がありません。なぜなら、自分の考えが最優先されますし、それを他人に否定もしくは、指摘されようもんなら、自分自身を否定されたと捉える傾向があり、ヒドくなっていくと、この否定がイコールになって攻撃されたと認識するようになります。

攻撃されるとなると自分を守らないといけませんよね?

そうなると、守るために暴力を振るったりするんです。なので、結論から言えばどうなるかと言うと、ルサンチマンを抱いたものは、広くは、世の中、狭くは、家族や友達などのコミュニティから孤立して孤独を抱えることになります。

したがって、こういう感情を抱きがちな人に言いますが、そもそも自分自身を客観的に見ていくところから始めたほうがいいかもしれませんね。自分もそうだったように。

さて、話が脱線しましたが、この事件をきっかけに自分は、このままだと自分の人生がマズくなるなと思うようになり、地元である熊本に帰ることを決意します。

そうと決まれば、また引っ越しをやらないといけません。自分は、すぐさま運送会社時代の先輩で、戸田に引っ越すときに手伝ってもらった S さんに再び電話します。

「 S さんすみません...ちょっと自分、もう無理みたいなんで地元に帰ります」

そう話をすると、S さんは、何があったのかを親身に聞いてくれました。そして、この2 ヶ月間にあったことを全て話した後に S さんは、自分にこう言いました。

「とりあえず、一回帰ってゆっくり休んでこいよ。んで、またこっち(東京)に来たくなったら来ればいいし、そのとき引っ越し手伝うから」

今でこそ、この当時の挫折を笑いながら話せるようになりましたが、当時の自分は、プライドが邪魔して、他人にこんなことが言える余裕なんてありませんでした。

しかし、それでも恥をかいてでも、やっぱり誰かに言わないとダメだなと、このときほど思った瞬間は、ありませんでした。人に話すことで楽になるんだったら、すぐにでも話をしたほうがいいと今でも思っております。

地元に帰ると決意した自分は、家具や家電なんかを全部 S さんにあげました。

S さんの家に行くと、自分があげた冷蔵庫が今でも使われているので、それを見ると少し懐かしく感じます。

その後、自分のアパートは、最低限のモノしか残っておらず、これらも全て郵送で実家の熊本県に一旦送りました。この引っ越し作業と並行して、不動産屋にも急遽、実家に帰らないといけなくなった旨を伝え、渋々承諾をしてくれました。

もぬけのカラとなった、自分のアパートは、相変わらず日当たりが悪く、そのときに改めてこう思います。

「お天道さんって大事だなー」

今では、このときのことが教訓となって、家を決めるときの絶対条件として『日当たりが良い』ということは、外せない項目となっております。

さて、運送会社の寮から引っ越して 2 ヶ月半しか経過してないのに、両親にも事の顛末を伝えて少しだけ実家に住ませてくれと相談しました。

親としても心配になったのでしょう。

「とりあえず、あんた帰って来なさい」

そう母親に言われて、いよいよ実家に帰るだけとなりました。

しかし、自分は、帰郷するまでに、どうしてもやらないといけないことがありました。

もつ鍋屋の店長を探して見つけて借用書にサインさせるまで 

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実家に帰ると決意した当時、自分の貯金残高は、30 万円を切っていました。本来であれば、ここに 20 万円がプラスされるはずなんです。

その 20 万円とは、この記事の前に書いた(転落人生編)で出て来た、もつ鍋屋の店長に貸した 20 万円のことです。
自分は、この 20 万円をどうしても取り返す必要があったのです。

ただし、この店長ですが、足取りが全く分かりません。それに、以前働いていたもつ鍋屋も店長以外の人と仲良くなかったので、誰に相談していいか分かりません。

しかし、当時自分に店長のことで電話をしてきた料理長だったら何か知ってるんでじゃないかと思って、思い切って電話で相談してみたんです。

すると、料理長は、びっくりした様子で自分にこう言ってきました。

「お前バカか!借用書も無しに金貸すバカがどこにいるんだよ!!」

「しかも、手渡しって...証拠がねーじゃねーか!」

そう言われると、とりあえず店に来いと言われました。

自分は、恥を承知でもつ鍋屋に顔出ししました。そして、料理長に対面。開口一番に料理長は、とんでもないことを言ってきました。

「アイツがどこにいるか気になるだろ?」

自分は、その言葉を聞いて意外でした。なんか情報持ってる感じがしたので料理長の次の言葉を待ちました。

「実はな、アイツすぐそこのもつ鍋で働いてんだよ」

自分は、思わず「ええ!?またもつ鍋屋ですか??」っとなんとも間抜けなリアクションをしてしまいました。

どうやら、姿をくらませていたらしいのですが、料理長とは、どういう訳か連絡を取るようになったとのことで、店長の足取りをコソッと教えてくれました。

自分は、その話を聞いて「じゃあ、今すぐに行って来ます」と言って、もつ鍋屋を出ようとすると、料理長がこう言います。

「カバオー、あれ作って来たかー??」

自分は、頷き昨晩、徹夜で作った借用書を見せました。店長は、それを見ると OK っと言って、自分に言って来いと言いました。

しかし、今になっても不思議なのが、なんでまた、もつ鍋屋で働こうと思ったんだろう。しかも、以前バックれた店の近くでやるなんて... 

そんなことを考えていると、あっという間に着いてしまいました。そのぐらい、近かったんです(笑)

着いて早々、そのもつ鍋屋の扉を開けると、そこには、女性が開店前の清掃をしていました。自分は、その女性に言います。

「◯さんいますか?」

女性は、警戒しながらも「ご用件は?」と聞いて来ました。なので自分は、とりあえず彼を呼んでくれとだけしか言いませんでした。

すると面倒臭さそうに、その女性は、店の中へと消えて行きました。恐らく呼びに言ったんでしょう。5 分後くらい経って、やっと店長が出て来ました。

店長は、自分を見るなり一気に血の気が引いたような表情をされていました。

しかし、自分は、お構い無しにこう言います。

「テメー、なんで電話出ねーんだよ?あっ!?お前社会人としてどうなんだよ、その行動は!?あ!!??」

まさに底辺の極みのような自分のこの言葉に、表情を曇らせた店長は、予想外の行動を取ります。なんと、この後に及んでシカトして、どこかに歩いていくではありませんか!

自分は「テメー、シカトしてんじゃねーよ!!」っと言いながらも着いていきました。本能的に「コレを逃したらコイツとは、二度と会うことが出来ない」と思ったんでしょうね。

5 分くらい歩いていると、近くの焼肉屋みたいなところに店長が入って行きました。そこで未使用の『おしぼり』のかたまりを抱えると、それを持って今度は、今来た道を戻りもつ鍋屋の玄関に「おしぼり」のかたまりを置きました。(この間ずっと無言です)

ちなみに、この焼肉屋と店長が新しく働いている、もつ鍋屋は、姉妹店だったらしかったんですが、当時の自分としては、そんなのどうでもよくて、とりあえず借用書にサインさせて早く帰りたかったんです。

その後、店長がやっと自分の話に反応してくれました。

「カバオ、本当に申し訳ない」

そう言うと、今回の件の背景を話し始めました。店長曰く、親父が危篤状態で見つかって、今後家族として、どうしようかとなって最終的には、看病するとなったらしいのです。

つきっきりで看病をしていたので、当然のことながらお店で働くこともできず、結果的には、ドタキャンしたらしいのです。

しかし、そんな店長の背景なんて、自分からすればどうでもいいし、そもそも親父の病気の話とか興味がありません。自分が興味あるのは、貸した 20 万円をいつ返してくれるのかだけでした。

なので、自分が強硬な姿勢を崩さなかったことに観念したのか、店長は、借用書にサインをしてくれました。自分の借用書には「今年中(2008年中)に全額返金すること」としっかりと明記しておりましたので、分割でも一括でもいいから必ず返せと伝えました。

店長は、小さな声で「分かったよ」と呟き、お店の中に入っていきました。自分は、そのとき、店長の背中を見てこう思います。

「あんなにデカイと思っていた背中が、こうも小さく見えるとは...」

自分としては、目標を果たせたものの、何かしっくりこない感じがしましたが、振り返ることなく、その場を後にしました。

帰郷して博多で一人暮らしを始めるまで

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もつ鍋屋の店長から無事に借用書のサインをもらったので、いよいよ熊本に帰ります。住んでいたアパートも引き渡しを済ませて、2008 年の 6 月の終わり頃に熊本に帰ります。

帰郷は、羽田空港から飛行機で福岡行きで帰ったんですが、このとき色々な思いが駆け巡りました。そして、その思いのほとんどは『後悔』の二文字で説明できるものでした。

3 ヶ月前は、まだ運送会社で働いていて、貯金も 100 万円ありましたが、それが今じゃ 25 万円まで減っていますからね。この 3 ヶ月間は、本当に自分の中では、黒歴史です。

以前、ナンパブログを書いていた時期を『黒歴史』という形で記事として書きましたが、あの黒歴史は、ネタとして話せるカワイイ黒歴史ですが、今回の記事の話は、中々人に話せませんよね(汗)

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さて、夢破れて地元である熊本に帰った自分は、1 週間くらいボーっとしていました。久しぶりの地元でしたが、あまり変化はなく、友達と遊んだり、温泉に行ったりと羽を伸ばしていましたが、1 週間で 5 万円くらい使ってしまい、貯金が 20 万円を切ってしまいました。

さすがに、このままだとマズいなと思って、仕事しようと決意します。しかし、自分の地元は、本当に田舎なので、どこも求人なんて出しておりません。ハローワークに載ってる仕事も給料が総支給で 13 万円とかで話になりません。

困った自分は「博多・天神あたりであれば、仕事あるのかな...?」っと思い、電車で博多まで行きました。そして、ハローワークに行くと多くの企業が募集をかけておりました。

当たり前ですが、自分の田舎と比べると博多のほうが、圧倒的に会社が多いんですよね。なので、熊本に帰って 2 週目にして、博多で働く旨を伝えました。

すると親父は「そんなに生き急いでどうする?」的なことを言ってきました。親父曰く、もっと実家でゆっくりして欲しかったのでしょう。

しかし、実家暮らしだけは、どうしてもやりたくなかった自分としては、親の話も聞かずに 7 月の最終週には、博多に引っ越しました。

もっとも、博多のハローワークの紹介で 8 月 1 日から土建屋向けに機器や資材をリースする会社で働くことが決まっていたのです。なので両親には、地元で働きたくても仕事があまりにも無さすぎるから博多で働くことは、自然な流れだと説明しました。

それに、埼玉に居たときと違って、何かあってもスグに帰れる距離だし、兄弟もみんな福岡に住んでいるから大丈夫だよということも付け加えると納得してくれました。

現に、熊本から博多に引っ越しをする際、兄と親父に手伝ってもらって、無事に博多に引っ越すことができました。

ちなみに、この引っ越しで掛かった費用は、全部で 30 万円くらいだったのですが、自分の貯金は、このときに全て吹き飛んでしまい、足りない分(10万円くらい?)は、地元の友達から借りました。

風俗に湯水のように金を使った博多の生活

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8 月 1 日から始まった新しい職場での仕事は、建設現場などに建てられた、プレハブ小屋などに机とか椅子、仮眠室で使うベッドなどをトラックで運ぶ仕事でした。

仕事自体は、別に可もなく不可もなくという感じで、無難にこなしておりました。プライベートも節制をして貯金しようと思っておりました。

しかし、2 ヶ月くらい経って 2 回目の給料をもらったとき、少しだけお金に余裕が出てきた自分は、たまたま家のポストに入っていたチラシに目がいきます。

「即抜き 40 分 1 万円!博多エリアは指名料・送迎費無料!!」

一体これはなんなんだ?そう思って、ネットで調べてみると『シティヘブンネット』というサイトに飛びました。

すると出るわ出るわ、全国の風俗情報がそこには、掲載されていました。自分は、エリアを『福岡-博多』の順に調べていき、その中の 1 店舗に電話をしました。

「もしもし、あのデリヘルってなんですか...?」

自分は、素直に電話口の人に聞きました。すると丁寧に電話口の方は、説明してくれました。自分は、デリヘルのシステムを一通り聞くと、一人の女の子を家に呼ぶことにしました。

30 分くらい経過して、一人の女の子が自分の家のチャイムを鳴らしました。今でも覚えているんですが、その女の子がメチャクチャ可愛かったんです。

芸能人でいうと、平愛梨みたいな感じの子が来てくれて、自分は、デリヘルというものが初体験だということを伝えると平愛梨は、こう言ってきます。

「初めてなん?なら優しく教えてあげるけんが、そがん緊張せんでよかよー」
「てか、お兄さんバリ元気よかねー^ ^」

今思い出しても、あのとき久しぶりに聞いた博多弁と平愛梨の笑顔が自分の母性本能を完全にロックオンしてしまいました。そして、この日を境に自分は、デリヘルを含むキャバクラ、ソープなどの風俗にどんどんハマっていきました。

博多は、今でこそ駅前に『KITTE』とかの商業施設が充実してきて、外国人観光客が増えてきたと言われ、博多の隣の『天神』では、数多くのベンチャー企業が起業されたりして話題になってるかと思います。

それに福岡という都市を全体的に見ても、飯が圧倒的うまい。これも魅力でしょう。

しかし、自分は敢えて断言します。博多の本当の魅力は『女』です。これが全て。もう、抜群に女の子が可愛い。顔だけじゃなく、振る舞いや言動、それになんと言っても、男を絶対立ててくるマインド。

サラリーマンが、単身赴任するなら博多に行きたいという理由は、この部分が大きく起因していることは、間違いないでしょうね。普通に癒されるもん(笑)

話しを戻して自分は、博多に来て  3 ヶ月目にして、先に話した会社を退職します。理由は、すごくシンプルで風俗にもっとハマりたかったからです。それには、たくさんのお金が必要でした。

なので、自分は、居酒屋とガソリンスタンドを掛け持ちでアルバイトすることになります。朝 8 時から 17 時まで、ガソリンスタンド。その後、18時から0時までアルバイトという流れでしたね。

ここまで、朝から晩まで毎日働いていると、そこそこ稼げるんですよね。それに、もつ鍋屋の店長からの返済も全て風俗に突っ込んでいました。恐らく、ひと月で 15 万円以上は、突っ込んでましたね(苦笑)

兄弟との価値観の違いに再燃した上京への思い

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相変わらず、風俗にハマっていた当時、ガソリンスタンドの先輩の紹介で車まで購入して、益々調子に乗っていた自分は、この頃からある悩みがありました。

それは、週に 1 度、必ず福岡にいる兄弟と会って、ご飯を食べることになったのです。車を買ったことをキッカケに「今、兄貴と飲んでるからお前も来いよ」と兄から言われるようになり、兄の家に行かないといけませんでした。

※ 兄は、二人います。

最初は、良かったのですが、行ったら必ず「お前、ちゃんと働け」とか「中途半端なことをするな」的なことを言われ、その後は、自慢話しのようなものをしてくるんです。

酒が入ると、自分の話しなんて全部拒否されますし、だからと言って反抗したりせず、兄が言うことを全て立てないといけないので、段々と会うのがしんどくなってきました。

「兄貴かもしれんが、なんでそんなこと言われないといけねーんだ?」

そう思うようになり、自分は、兄達と少しずつ距離を置くようになります。もっとも、兄が言っている言葉も最もだと思います。

そして、次第に今の生活に疑問を抱くようになり、ある決意をするようになります...

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翌年の 1 月に成人式を迎えた自分は、久しぶりに地元に戻りました。

とは言っても、自分は式自体には参加せずに、その後の二次会のようなものに参加したのですが、久しぶりに会った友達と話をするも何を話せばいいか分からず、しどろもどろになっておりました。

「よく考えれば、まだ大学生がほとんどなんだよなー」

そう思うと、ほとんどの友達が就職を控えていることに気付きました。

「もし、自分が大学に行っていたのであれば、これから就職をして、社会に出ることになるのかー」

と冷静に思い、もしそうだったとして、大学卒業後の自分は、何をするんだろうかと考えました。そのとき自分は、あの埼玉にいた頃の記憶が一気にフラッシュバックして蘇りました。

あの頃は、不満こそあったものの、一生懸命に仕事をして貯金をしておりました。しかし、辛かったかと言われればそんなことはなく、寧ろ充実していたと思います。

それに比べて今の自分は、どうだろう?働いた金のほとんどを風俗に突っ込み、兄弟からはとやかく言われて嫌気が差して、フリーターという生活に不安を抱きながらなんとなく生活をしている。

自分は、成人式の二次会会場で暫く考えこみました。同時に前述したある想いを決意して良かったのかもしれないと思うようになります。

そんなとき、中学の頃に付き合ってた元彼女が自分に近寄ってきました。

「そう言えば、東京におったんやなかったとー?」

自分は、東京じゃなく埼玉で働いていたけど、今は、博多に住んでいると伝えました。すると彼女は、こう言ってきました。

「そうなん?まあ、東京って遊びに行ったことあるけど、住むとこやなかよねー。こっちに帰ってきて正解やないー??」

元彼女は、何気なく自分に言ってきました。

しかし、自分は、その言動を真摯に受け止め、そのあと元彼女にこんなことを言います。

「でも、明後日、また向こうに行くけどね」

自分は、この成人式が終わった三日後、北九州からフェリーを使って、東京に再び上京することになります。