読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

東京インスパイア

都内で働く高卒リーマンの記録

高卒で埼玉に就職して1年間で100万円貯金して退職するまでの話し

f:id:satril:20170131005605j:plain

2017 年も早いもので、1 ヶ月が経過しましたね。みなさんいかがお過ごしでしょうか?

今回、私、カバモト・カバオの上京物語と題して、高校卒業後から 20 歳の成人式を迎えるまでに起きた実話を以下のような構成で綴りました。

 

ー 高卒で埼玉に就職して1年間で100万円貯金した話し

ー 夢追うも挫折してテレビのADになるも3日で辞めて負け組になる話し

ー 都会生活に疲れて博多に引っ越して風俗にハマるが再び東京に行く話し

 

今思うと、本当にとんでもない経験をしたなと思っております。

もっとも、あれから 10 年近く経った今だからこそ、当時を振り返ることが出来るんだと思っておりますが、とりあえず、当時の記憶を辿りながら一生懸命に書きました。

就職後なにもかもが順調だった 1 年間を捨てるまで

f:id:satril:20170129174500j:plain

この記事を書こうと思ったきっかけは、つい先日、大雪の中で実施された、センター試験の様子がニュースで放送されていたことがキッカケになります。

そのニュースを見て「学生って大変だよな...」っと嫁に呟いてしてしまいました。

というのも、私、カバオは、高校卒業と同時に上京(埼玉だが...)してますので、センター試験というもの縁がありません。

自分の認識では、センター試験って大学進学前の高校生がその後の進路を左右する大事試験だと思っております。しかし、今 28 歳であるカバオが 10 年前の 18 歳のときに選択した進路は、就職でした。なので、最終学歴は『高卒』です。

しかしながら、もし、10 年前に戻れるのであれば、間違いなく大学に進学していたでしょうね。やはり、当時の自分は、社会に出るのが少し早かったのかもしれません。

特に自分の場合は、就職して 1 年間正社員で働き、その後無職からフリーターになり、1 年間で貯めた貯金の 100 万円をわずか 3 ヶ月で使ってしまいました。

今回は、そんな自分の苦い思い出を綴っていきたいと思います。

ハッキリ言って、かなり長い(笑)

だって、全部で 3 話に分けて書いてますからね。恐らくですが、全部で 20,000 文字以上になっております。

高卒で社会に出る若者や、現在社会人となって夢を追いかけている人なんかがいたら、この記事を反面教師にしていただき「こんなクソには、なりたくねーw」っと思っていただければ幸いです。

高校卒業して熊本から埼玉へ

f:id:satril:20170129190735j:plain

高校 3 年生のときの自分は、大学生になることなんて、全く考えていませんでした。理由としては金が無きゃ大学なんていけねーんだろ?」っと思っておりましたので、自ずと就職という選択肢しか残されてないと思っておりました。

そして「地元を早く出たい」という気持ちも大きく「一番輝いている、東京で働けば何か変わるやろ?」という浅はかな気持ちが当時の自分の原動力だったのを覚えております。

なので、就職する会社なんて正直、東京であればどこでもよかったので、学校に来ていた求人票を見て、東京にある会社を適当にリストアップしました。その後、数社を選んだのですが、結果的に埼玉と東京に営業所がある運送会社を選びました。

その後、面接のために初めて上京しました。今でも覚えているのが、羽田空港を降りて、泉岳寺まで行って、さらに都営浅草線に乗って目的地に向かっていたのですが、当時は、iPhone なんて皆無ですから『乗換案内』のアプリを見て目的地に行くなんてありえないわけです。

なので、目的地まで何度も『みどりの窓口』的なとこで行き先を聞いて、やっとの事で面接会場に到着。試験を受けて面接をして、その後、ビジネスホテルに泊まってから、翌日に帰るという流れだったのですが、帰りにゆりかもめに乗ってレインボーブリッジを通ったとき、そこから見えた光景があまりにも綺麗だったんです。

なんか、こう...うまく言えませんがね...そのときに

「絶対に受かって、また来るわ」

っと、胸に思いを込めて、九州に帰りました。1 ヶ月後くらい経過して、無事に合格通知のお知らせが届き、自分の東京行きが決定しました。

もっとも、その後、自分が東京勤務じゃないことが発覚し、埼玉勤務ということを聞かされて、一瞬「え?埼玉ってどこや?」っと思って調べると、東京の上にありました。

予想外の結果に少し迷いましたが、「まあ、近いし別にええや」っとなぜか納得し就職先の会社に働く意向を伝えました。

もっとも、田舎者で勘違いしていた自分は

「とりあえず、俺は、他のヤツらと違う」

という気持ちがかなり強く、地元に留まるのは、勿体ないと思っていたんですよね。

この気持ちは、就職した後も数年消えなかったですね。今思うと、自分が未熟だったと自覚しております(苦笑)

ただ、田舎者であれば、30 人に 1 人くらいは、こういう勘違いしているヤツっているんじゃないかと思います。

しかし、敢えて言いますが「将来のことなんか全然考えてないけど、とりあえず俺は、他のヤツらと違う。明確に言えないが、俺は本気でやれば何でも出来るし、その方法も知っている」と思っているそこのキミ!!!

それ、、、、勘違いやから(笑)

 意外と性に合ったトラックの運転手

f:id:satril:20170129180801j:plain

 その後、運送会社に転職してからは、何もかもが順調でした。もっとも、求人票には、「ピッキング作業、商品管理など」と書かれておりましたので、トラックの運転なんて書いていませんでした。

しかし、いざ働いてみると「3ヶ月後には、コレ( 2 トン)運転してもらうから」と初出勤日に言われました。「まさか、トラックの運転手になるなんて...」っと思ったのですが、慣れてくれば結構楽しいんですよねトラックの運転って。

今でこそ、営業職として働いている自分ですが、当時の自分は、客に頭下げたりするのがダサいと思っていたので、自分のペースで黙々と仕事する方が好きだったのかもしれません。

また、人生で初めてする仕事って、その後の人生でも尾を引いて、関連の仕事をすることが多いと思うんですよね。自分の場合も 25 歳くらいまでは、転職してもトラックとして働くことが多かったですね。

休日に意味もなく 1 人で出かけた東京の街

f:id:satril:20170129175114j:plain

熊本から 1 人 で関東に来た自分は、当然のことながら友達がいません。いたとしても、同期(男3人、女3人)だけ。しかし、自分だけ地方出身ということもあって、あんまり同期と仲良くなることは、ありませんでした。

なんていうか『若気の至り』というものがあったのか「こいつらといたって、面白くないやろ?」っと思ってしまい、あんまり話したりすることは、ありませんでした。

でも、だからと言って寂しかったか?というとそんな気持ちは一切ありません。プライベートでは、意味もなく『渋谷』とか『六本木』に遊びに行ったりしてました。

「やっぱり、東京はやべぇーな!」っと、何がヤバいのか分かりませんが、東京という都市の魅力にどんどん惹かれていきます。もっとも「あの田舎者だった俺が、今、東京にいるぜ!どうだ?すごいやろ?!」っと、誰に対してか分からない感情が心の中にあったように思えます。

これぞ、まさしく『東京インスパイア』ってやつですね(笑)

貯金と節約が趣味になっていた 19 歳の秋

f:id:satril:20170129175647j:plain

ちなみに、この時の住まいは、東武伊勢崎線沿い(現東京スカイツリーライン)の埼玉のとある駅だったんですが、賃貸のアパートを会社が借り上げてくれており、そこに寮として住んでおりました。記憶では、6,000 円くらいでかなり安かったことを覚えております。

なので、貯金がメチャクチャ貯まるんですよね。当時は、月に 20 万円くらい手取りで貰っていましたが、毎月 8 万円くらい貯金しておりました。

余談ですが、同期の女の子 3 人のうちの 1 人は、一回だけ寮に遊びに来てくれて、ご飯を作ってくれて一緒に食べました。その後、一夜を共にしたのもいい思い出だったな〜(笑)

さて話を戻して、就職して半年が経過する頃には、貯金額が 50 万円を過ぎました。そのときに「これ、もっと貯金できんじゃね?」っと思うようになり、その後、週に 1 回だけ西麻布のもつ鍋屋でアルバイトをすることになります。

このもつ鍋屋での収入は、月で 30,000 円くらいだったのですが、これも全額貯金します。なので、10 月頃から給料と合わせると 月に 10 万円ほど貯金するようになります。

また、冬にもらったボーナスも全て貯金に回しておりました。なので、年末頃になると貯蓄額が 80 万円ほどになっておりました。

ちなみに、自分の人生でここまで貯金していたのは、後にも先にもこの時が一番ですね。そういう意味では、本当にあの頃の自分は、本当に凄いなと純粋に思います(笑)

会社への不満と孤独な職場環境

f:id:satril:20170129175907j:plain

先ほど話したように19歳の若造が 80万円近く貯金があるとなると選択肢の幅が広がるんですよね。そして余裕というものが生まれて来ます。これが、普通の人なら「車買おう」とか「高い洋服買おう」とか、前向きな考えになると思うんです。

しかし、自分の場合は、なぜか会社で働いているということが、勿体なく思うようになってきました。もっとも先ほど書いた「俺は、他のヤツらと違うのに何でこんなことやってんだ?!」的な考えが根底にあったのでしょう。

なので、翌年の 1 月頃には、先輩社員と「もっと、会社ってこうするべきなんですよ」とか「あの人は、仕事ができないんだから早くやめさせた方がいい」とか会社を批判するような陰口が多くなっていきます。

人間、会社への不満が多くなって、その不満を口にするようになると、どんどん腐っていきます。そして、その会社で働いていること自体に嫌気がさすようになり、最終的には、会社を辞めようと思うようになります。

なので、たまにいませんか?「もう、辞めようかな...」とかが口癖の人。そういう腐っている人って会社には、あんまり良い影響を与えません。なので、万が一、あなたがそう思ったとしても口に出さないことをオススメします。

なぜなら、会社に不満があったとしても、それを上回るくらい愛社精神を持っている社員もいるのです。会社としては、愛社精神を持った社員を優先しますからね。腐っている社員は、助けてくれません。

事実、自分が会社の不満を口にするようになって、優しくしてくれた上司の方や先輩も日に日に話をしてくれなくなってきました。一緒に会社の愚痴を言い合っていた先輩がいないときは、他に喋る人がいないので、社内に居辛くなってしまいます。

自分が撒いた種なのに、不安になっているなんてアホですよね(笑)

ただし、自分は「どうせ辞めるんだから、こんなヤツらと仲良くしたって意味ねーわw」っと完全に開き直ってました。まぁ、今思うと本当に失礼な態度で仕事していたなと申し訳なく思っております(涙)

なので不満があっても決して腐ることなく働くことを心がけましょうね(教訓)

淡く募る音楽業界への憧れ

f:id:satril:20170129180228j:plain

さて、「仕事を辞めよう」と思い始めるものの、何かやりたいことがあるわけじゃありません。しかし、当時の自分は、超が付くアホなので...

「とりあえず、何か好きなことをやろう」

そう考えるようになり、当時好きだった音楽の道に進むことを考え始めます。

昔から DJ をやっていた自分は、無類の音楽好きでした。そんな自分がトラックの運転をしていて、一番良かったなと思ったのは、運転中に『J-Wave』が聞けたことだったんです。

今でも同世代の中でも、結構詳しいほうじゃないかなと自負しておりますが、当時は「俺の音楽センスは、ズバ抜けたモノがある」とバカ過ぎる自信を持っておりました(笑)

そんなアホな自信を持った自分は『J-WAVE』から流れてくるオシャレな音楽を毎日聞いていると「これだけ、洋楽も邦楽も聴いているんだからヤバい楽曲が作れんじゃね?」と思うようになり「せっかく、東京に来たんだから、サウンドエンジニアにでもなるか!」っと奮いたつようになります。

しかし、音楽業界の中で、なぜ、サウンドエンジニアになろうと思ったのか、今でも全く分かりません。ただ、楽曲制作のようなものに憧れを持っていたんだと思います。

もっとも、当時、フジテレビのドラマで『ラスト・フレンズ』が放送されていた頃で、その主題歌が宇多田ヒカルの『Prisoner Of Love』だったんです。

この PV でも分かるように、宇多田ヒカルがトラックメイキングしているところが、写ってるんですが「なんかめちゃくちゃカッコイイな...」っと影響を受けてしまったんです。

まあ、宇多田ヒカルがこの PV でやっていることが、サウンドエンジニアに直結するわけじゃないんですけどね...ホントにアホやな(苦笑)

さて、話を戻して、謎の自信をもとに音楽業界に転職しようと決めた自分は、2 月の終わり頃にいよいよ会社に退職の意向を伝えることになります。

職場のみんなに反対された退職

f:id:satril:20170129180326j:plain

2 月の最終週の金曜日だったと思いますが、当時一番偉かったセンター長に退職の意向を伝えました。すると、センター長は「お前、何をふざけたこと言ってんだ?」っと怒ってきました。

自分は、この反応が物凄く意外でした。なぜなら、先ほど話したように自分は、嫌われていると思っていたからです。だから、自分に早く辞めて欲しいと思ってるに決まっていると自分は思っていたので、すんなりといくと思っていました。

しかし、今でこそセンター長の気持ちが分かりますが、田舎から出てきた新卒のガキをこれから手塩をかけて育てていき、会社として強固な戦力にしようと思って採用している訳ですからね。

要するにコストがかかっているんです。給料で渡している金額の 2 倍くらいは、投資しているんじゃないかと思います。

しかも、仕事にも慣れてきたはずなのに「退職する」っといきなり言われてもね...

「はい。わかった」という訳には、いきませんよね立場的にも。

ただし、退職の意思が強い自分に対して、最終的には、センター長から「お前が、そんなに音楽業界の道にいきたいなら俺は止めない。俺はお前の活躍を応援する」と言ってくれました。

その後、職場の色々な人に「音楽業界頑張って!」っと声をかけてもらい、最後の 1 ヶ月間は、自分も名残惜しい形で退職することになります。今思い出しても本当に良い会社だったと思います。あの頃に戻れるなら、あと 5 年くらいは、あの会社にいても良かったかなと今更ながらに思います。

これまで順風満帆だった社会人生活に自らピリオドを打ち、その後の数年間は、波乱の人生の幕開けになるのですが、そんなことが起きることも知らず、ただ純粋に明るい未来を描いていました。

ちなみに、3月31日で退職した自分の銀行口座には、残高 105 万円の数字が記載されています。なので「これだけあれば、何が起きても恐くねーだろ?」っと思っておりました。
もっとも、この 3 ヶ月後の 7 月頃には、貯金額 0 円になって、博多でフリーター生活を送ることになるなんて、このときは想像もできなかったですがね...

 

つづきはコチラ ↓

www.tokyo-inspire.com